エドウィン・ビニーとC.ハロルド・スミスが立ち上げたビニー&スミス社は、設立当初より、色彩に関連する会社でした。それから約100年の間に、ビニー&スミス社は創設者の壮大な夢を超える企業に成長しました。技術的なイノベーション、比類なき品質、消費者のみなさんにご満足いただける製品づくりによって、ビニー&スミス社は自由でのびのびとした創造性を育み、クリエイティブな楽しみをお届けするトップ企業となったのです。
1864年
ジョゼフ・ビニーがニューヨーク州北部に炭とランプのすすの顔料を製造するピークスキル ケミカル ワークスを設立。
1880年
ニューヨーク市に本社を構え、息子のエドウィン・ビニーと甥のC. ハロルド・スミスが加わる。
1885年
ジョゼフ・ビニーが引退。エドウィンとC.ハロルド・スミスの共同経営体制へ。社名をビニー&スミスに。初期の製品には、納屋のペンキ塗りに使われたベンガラ顔料や車のタイヤに使われたカーボンブラックなどがあった。
同じ頃、ペンシルバニア州で天然ガスが見つかったのを機に、天然ガスからカーボンブラックを製造する開発に積極的に携わる。
1900年
あらたに設立したブッシュキル クリークのペンシルバニア イーストン工場で学校向けのスレート鉛筆の製造を始める。
ビニー&スミス社の安価な黒色色素は、1900年パリ万国博覧会で「カーボンガス ブラック、ランプおよびオイル ブラック、ピアレス ブラック」というタイトルで発表され、化学産業の競争に参加することとなり、社は化学・薬学技術金賞を受賞する。
1902年
「ステイオナル マーキング クレヨン」を開発。学校教員のニーズに応え、最初のダストレス チョークを発表。
この年の9月30日にペンシルバニア州イーストンで、カーボンブラック製造会社数社への販売元として会社を発足。各国へカーボンブラックを広める。
1903年
安全で高品質かつ安価なワックス クレヨンのニーズに気づき、最初の8色セット「クレヨラ クレヨン」を製造。カラーは赤、オレンジ、イエロー、グリーン、ブルー、パープル、ブラウンとブラックの各色。当時一箱5セントだった。
「クレヨラ」の名前はエドウィン・ビニーの妻アリスが名づけ、フランス語の「チョーク」を意味する「クレ」と、「オラ」は油性を意味する「オリージナス」が由来。
1904年
1904年セントルイス万博で、「An-Duセプティック(ダストレス) チョーク」が金賞を受賞。
1920年
美術学生向けクレヨラ ルーベンス クレヨンとパーマ プレスト シャープナブル ファインアート クレヨンが、新たな「アーティスタ」ブランドの絵の具とともに成長、製品ラインに加えられる。
1936年
「クレヨン・水彩絵の具・クラフト インスティテュート」の設立メンバーとなり、芸術用品の安全性の向上に貢献。
1948年
種類が増えるクレヨラ製品のさまざまな使い方を美術教員に指導する目的で、学校内トレーニングとしての教員ワークショップ プログラムが全国的に始まる。
1949年
「スタジアム シート」ボックスに入った48色のクレヨンセット「クレヨラ 48」を発売。
1952年
成長するビジネスに対応するため、カンザス州ウィンフィールドにビニー&スミスの工場が創業。
1958年
64色セットのクレヨラ クレヨンがビルトインのシャープナー付きで発売。
1961年
株式会社となる。
1963年
5月1日、ビニー&スミス社、BYSの略語でアメリカ株式市場に上場。
1964年
オハイオ州シンシナティにある「リキテックス」アクリル絵の具、油絵の具、水彩絵の具、にかわ、など芸術用品の製造会社、パーマネント ピグメント株式会社を買収。
1969年
ペンシルバニア州イーストンに新たな工場を増設。5年後に本社新設。
1975年
メキシコのパステヘにある製造工場とジョイント ベンチャーを開始。
1976年
本社をニューヨーク市からペンシルバニア州イーストン、フォークス タウンシップに移設。
1977年
5月に世界でもっとも愛されているおもちゃの老舗のひとつであるシリー パティ社を買収。
1978年
6月19日、ニューヨーク株式市場にBYSのシンボルで上場。
クレヨラ クレヨンが発売75周年を迎え、クレヨラ マーカーを発売。クラフト工作キットが会社の生命線としての位置を占めるようになる。
1979年
子ども向け製品のすべてを「クレヨラ」の商標の入ったパッケージで販売。芸術用品はすべて「リキテックス」の商標パッケージで販売を開始。
1980年
オーストラリアで民間の販売会社を買収し、ビニー&スミス(オーストラリア)株式会社設立。クレヨラ完成製品のマーケティング、販売にあたる。
1984年
ミズーリ州カンザスシティの、パーソナル エクスプレッションの世界的大手、ホールマーク社単独所有の子会社となる。
クレヨラ ドリームメーカーズ アート教育プログラムが全米の小学校で導入される。
1986年
通話料無料の問い合わせ電話番号 1-800-CRAYOLAが開設され、会社の高品質なサービスへの取り組みをさらに拡張。
1987年
洗い落とせるマーカーを発売。すぐに子どもたちをはじめ、先生、保護者から大人気に。クレヨラ色えんぴつも登場。
1988年
「マジックマーカー」ブランドのマーカーの製造権を買収。
1990年
クレヨラ クレヨンの8色、メイズ(コーン)、ロウ アンバー、レモン イエロー、ブルー グレー、オレンジ イエロー、オレンジ レッド、グリーン ブルー、バイオレット ブルーの各色が引退、ペンシルバニア州イーストンで殿堂入り。
1991年
引退した8色のクレヨラ クレヨンの復刻版を64色ボックスに添え、クレヨラ コレクターズ カラー缶に入れて、期間限定で販売。クレヨラ ウオッシャブルクレヨン発売。
1992年
クレヨラ、モデル制作用コンパウンド「モデル マジック」を発売。数多い商品群にさらに追加。
1993年
クレヨラの90周年をこれまでにない大きさのクレヨンボックスで祝う。16色の新色を含む96色のクレヨンセット。
会社創設以来の試みである「新色に名前をつけようコンテスト」で消費者のみなさんから新しい色の名前を募集。
1994年
プラモデルの世界有数のメーカー、レヴェルーモノグラムがビニー&スミス グループに加わる。
1996年
ペンシルバニア州イーストンの製造ラインにて、1000億本目のクレヨラ クレヨンがつくられ、そのカラフルな歴史の節目を飾る。
7月16日、「クレヨラ体験ビジターセンター」のグランドオープンを「クレヨラ カラージャム パレード」とともにペンシルバニア州イーストンで祝う。
2000年
「リキテックス」ブランドをコルアート社へ売却。
「クレヨラ カラー ワンダー」がデビュー。「ファミリー ファン誌トイ オブ ザ イヤー賞」、「デュラセル ウルトラ トイ サーベイ」、 NBCトゥデイ ショー提供の「トゥデイズ トイ テスト 2000」など、いくつもの全米おもちゃテスト プログラムで賞を受賞。
「クレヨラ カラー センサス 2000」で全年齢を対象にしたクレヨラ クレヨンファンに、好きな色の投票を呼びかける。アメリカ初のインターネットによるクレヨンの好きな色調査を実施。Crayola.comのウェブサイトに好きな色を登録した人すべてが調査の結果に反映され、抽選でホワイトハウスやイエローストーン国立公園、ゴールデンゲートブリッジなど、カラフルな旅行先への4人の旅が当たる企画。
メタリック ゴールド シリー パティが50周年ゴールデン アニバーサリーを記念して発売。
1950年代のビンテージブルーとイエローのシリー パティ エッグが、スミソニアン国立アメリカ史博物館で行われたアメリカ文化を形作った重要な発明と材料を展示した「マテリアル ワールド」展に展示される。
2001年
1月31日、アメリカ初の好きなクレヨンの色オンライン調査の結果が発表される。すべての年齢のクレヨラ クレヨンのファン2万5,000人の投票が集まり、アメリカの好きなクレヨラ クレヨンの色はブルーに決定。他にも6つのブルー系の色、セルレアン、ミッドナイトブルー、アクアマリン、ペリウィンクル、デニム、ブリザード ブルーがトップ10入り。他にトップ10に入った色は、パープル ハート、カリビアン グリーン、セリース(サクランボ色)など。
同年9月、レヴェルーモノグラムとレヴェルAG社を、ダイキャストのコレクターアイテム専門メーカーであるアイオワ州セダーラピッズのアルファ インターナショナル社に売却。
2002年
チャイルド マガジン誌によってベスト トイ オブ ザ イヤーに選ばれた、この種類では最初のおもちゃ「レフトオラス」を発表。子どもたちは古いクレヨンを溶かして自分で新しいクレヨンをつくれるようになる。
クレヨラ 「ツイスタブル」発売。クレヨンの先が減った時、ひねればまた出てくるプラスチック チューブは新学期のヒット商品に。
ウィンドウFXマーカーは窓や鏡に絵を残して、クレヨラの新しいベストセラーのひとつとなる。
2003年
世界や子どもたちをカラフルに彩り、100年。クレヨラ創業100周年を迎える。
4つの新色が次の100年に向けて発売される。「インチ ワーム(シャクトリムシ)」「マンゴー タンゴ」「ワイルド ブルー ヨンダー」「ジャズベリー ジャズ」。これら4色がブリザード ブルー、マジック ミント、マルベリー(桑の実色)とティール ブルーにとって代わる。
10月11日、ペンシルバニア州イーストンで開かれた創業100周年パーティで、世界最大のクレヨンをお披露目。それまでのギネスブック記録の3メートルをぬり替える。世界最大のクレヨンは重さ680キロ、高さ4.5メートル、直径40.64センチで、色はアメリカの大好きなブルー。
2006年
VH1の視聴者により、シリー パティとクレヨラ クレヨンがそれぞれ第27回、28回の往年のもっとも人気のあるおもちゃに選ばれる。
クレヨラは、5つのアウトドア アクティビティのためのおもちゃ「クレヨラ アウトドア」を発売、その創造の地平線を広げる。カラーサイクロン、グランドキャンバス、スーパーブラシ、チョークンロール、そしてチョークストンパーズで、子どもたちはアウトドアでの「でっかい」アートをつくることが可能に。
クレヨラ スーパーブラシが「トイ ウィシィズ誌」の「ホットな12の夏のおもちゃ」のひとつにノミネート。このリストは編集者が選んだその年のもっとも注目のおもちゃにスポットライトを当てるもの。
2007年
1月1日、ビニー&スミス社はクレヨラLLC (有限責任会社)となり、会社のナンバー1ブランドとその急成長する革新的方向性を反映。クレヨラの名前はアメリカの家庭で99%の知名度を得る。
2008年
1958年に子ども向け人気番組「キャプテン カンガルー」で初めて紹介されて以来、愛され続けている64色のクレヨン ボックス誕生50周年を祝う。
2010年
パートナーUGIとPPLとともに、クレヨラは8万1,000平方メートルの太陽光発電設備を、ペンシルバニア州フォークス タウンシップのクレヨラ構内に建設。2万6,000枚のソーラーパネルが1.5メガワットの電力を発電する。これは年間10億本のクレヨンを製造できる電力で、年間3,800トンの温室効果ガスをカットするもの。また、年間650台の車を高速道路から減らすか、年間3.24平方キロの松の林を植えたのと同等の数字になる。
2011年
5月4日、カーボンブラック製造のための装置の発明を評価され、エドウィン・ビニーが「アメリカ発明者の殿堂」入りに選ばれる。1891年5月26日のこの発明に特許が与えられる。
「クレヨラ体験」の15周年を祝うパーティが7月16日に催される。
クレヨラ太陽光発電施設が完成。3万枚のソーラーパネルにより、3メガワットの電力を発電。ソーラーパネルは10億本のクレヨンと500億本のマーカーの製造に必要な十分な電力を供給する。